活動日誌−東奔西走

【10.08.09】被爆者が生きているうちに核廃絶を=国連事務総長

広島平和祈念式典に参加

   8月6日、朝から強い日差しとせみ時雨。65年前も今日と同じだったのかと思いながら平和祈念式典会場に向かいます。広い道路も人でいっぱいです。8時から開会した記念式典では、原爆犠牲者へ黙とう。秋葉市長や子供代表の平和宣言に続いて、国連のバンギブン事務総長があいさつ。自らも幼いころの朝鮮戦争の体験に触れ「平和のために一生をささげてきた」と語り、被爆者が体験を語り活動を続けていることに敬意を表し、被爆者が生きている間に核兵器のない世界を実現しようと呼びかけました。
 秋葉市長が、日本政府に「核の傘からの離脱」を呼び掛けたのに対し、首相は「核の抑止力は必要」と発言し、非核3原則の法制化も否定するなど、被爆国の首相として情けない態度をとり続けています。
 

 

 

10時30分からは、原水爆禁止世界大会in広島の閉会総会。国連のセルジオ・ドゥアルテ軍縮問題担当上級代表が参加。ニューヨークでカバクチュラン議長とともに690万人余の署名を受け取った方です。
 印象的だったのは、国連の1号決議は1946年の核廃絶決議であるとのこと。世界に伝染しつつある核抑止力論を克服し、核廃絶を達成しなければならない。被爆者は最良の教師であり、被爆体験を世界の学校教育に取り入れようと呼びかけました。国連のトップがそれぞれの場で核廃絶を熱く訴えていることに感動。
 日本共産党の志位委員長も平和祈念式典に参加した後、世界大会にも参加し「NPT再検討会議の成果を踏まえ、各国政府に核廃絶交渉を速やかに開始するよう求め行動しよう」とあいさつ。大会には、エジプト、ノルウェー、ベネズエラの駐日大使も参加して政府を代表してのあいさつを行いました。また韓国の被爆者の会の方も発言し「我々には何の補償もない日本人と同等の救済を」と強く求めました。被爆者や全国各地の運動を交流。昨日できたばかりというきたがわてつさんの新曲は「ピースメッセージ」はなんとニューヨークでのバン・ギブン事務総長の演説がそのまま曲に。「憲法前文」と同じように力強いものでした。核廃絶に向けて、秋の国連総会に向けて署名を広げ草の根の運動を大いに広げることを確認し閉会しました。

発言するドゥアルテ国連代表
   

閉会総会フィナーレ  

  さだ子の像の前で歌っているのは「祈り」という曲を発表した佐々木貞子さんの甥

  市立高等女学校慰霊碑
 1948年3周忌に遺族によって作られる。
 原爆という言葉や慰霊の言葉を使うことができなかったため、原子記号のE=MC²を彫りこんだという。一時郊外の寺に移されていたが、サンフランシスコ条約が発効した1952年以降現在の平和大橋のたもとに設置され、犠牲となった女学生の名前を刻んだ碑も建てられています。 祈念式典の後慰霊祭が行われました。
 市内の各所でも、慰霊祭が行われていました。

あらしの中の母子像
 原水爆禁止運動から生まれた像。母親が乳飲み子を抱き、左手で幼児を背負おうとしながら腰をかがめて子供をかばっている。子どもを守る母、核廃絶に立ちあがる女性、妨害に屈せず頑張る平和運動を表している。  

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